今回はそんな熱気から少し距離を置き、落ち着いた雰囲気でお届けする。ただし見逃せないオークションがふたつあるので、それはしっかりご紹介しておこう。オークションにあまり興味がないという方もご安心を。どちらも大手のオークションハウスではないため、気軽に楽しめるはずだ。さて、今回の舞台はフランス。まず訪れるのはトゥールという小さな町である。おもしろいことに、ここはロワール渓谷の古城巡りの出発地として知られている。そしてこのツアーの執着点はパリだ。最後まで読み進めてくれれば、eBayのおすすめ商品を紹介する。どうぞお楽しみに。
先週のオークション結果については、すでに充実した内容をお届けしている(詳細なまとめはこちらから)。それではさっそく本題に入ろう!
“ブレゲ:創造者と継承者たち”オテル・デ・ヴァント・ジロドーにて
ジェフロワ・アデール(Geoffroy Ader) 氏は時計の専門家であり、かつてはサザビーズ・ジュネーブにおいて欧州時計部門の責任者を務めていた人物だ。近年はフランス各地の中小規模の競売所をサポートし、時計関連のあらゆる品の真贋鑑定、商品についてのプレゼンテーション、そして競売までを手がける。まったく、実にうらやましい仕事だ。数カ月前、恐らくアデール氏のもとにオテル・デ・ヴァント・ジロドーから連絡が入ったのだろう。この競売所はロワール渓谷の主要都市のひとつ、トゥールに位置している。ワインのラベルでその名前を目にしたことがあるかもしれない。競売所に古いブレゲの時計を売りたいという依頼が入り、アデール氏は担当者とともにその依頼人の自宅を訪ねることとなった。
A Breguet triple calendar wristwatch
ロット3 ― ブレゲ No.4881(1970年製)トリプルカレンダー クロノグラフ搭載の腕時計、予想落札価格:3万〜5万ユーロ(日本円で約500万~830万円)
ところが、そのブレゲの時計は1本にとどまらなかった。アデール氏の関心の高まりにつれてあっという間に2本、3本、そして4本へと増えていった。というのもこの出品者の叔父(もともとの時計の所有者)は、ブレゲという創業250年を誇るブランドに深い愛情を抱いていただけでなく、1922年から1976年までの54年間、同社で時計師として働いていたのだ。最終的に、ブレゲのクロノグラフウォッチが3本、懐中時計がひとつ、さらに“ブレゲ風”の置時計のいくつかがコレクションとして顔を連ねていた。だが、まだ終わりではなかった。帰り際、出品者がふとこう尋ねたのだ。「手紙にも興味はありますか?」と。
A Breguet Type XX
ロット1 ― ブレゲ No.1974(1955年製)タイプXX クロノグラフ、予想落札価格:8000〜1万6000ユーロ(日本円で約130万~270万円)
アデール氏の答えはもちろん「イエス」だった。そして彼に差し出された数箱分の文書、その内容は、時計史において近年まれに見る大発見として記憶されるかもしれないものだった。結果として、ブレゲの歴史を物語る文書は100点以上におよび、なかにはアブラアン-ルイ・ブレゲ(Abraham-Louis Breg)本人が記したものまで含まれていた。出品リストを眺めるたびに「これは博物館に収蔵されるべきだ!」と、叫びたくなる衝動が抑えきれなくなる。これらの資料の一部、あるいはすべてが、将来的に博物館やアーカイブに収まる可能性は十分にあるだろう。しかしこうしてオークションに出品されたことで、私たちもその資料に触れ、学ぶ機会を得られるのは非常に意義深い。
A Breguet manuscript
ロット44 ― ブレゲによる1815年の直筆原稿、予想落札価格:2000〜4000ユーロ(日本円で約33万~67万円)
毎週何十冊ものオークションカタログに目を通している私ですら、今回の内容には圧倒され、整理するのが簡単ではなかった。それも当然で、これほどの量と価値を持つ紙資料をウェブの記事でわかりやすく伝えるのは至難の業だろう。もちろんこれはアデール氏の責任ではない。それでも、私が注目するロットをいくつか紹介したい。そのひとつがロット44。カタログによると「おそらくブレゲによるもの」とされる署名のない手稿であり、1815年当時の時計業界の状況分析が記されており、製品群を次のように分化するための構想が詩綴られていた。具体的には、「一方は必要十分な堅牢性と正確な動作に重点を置いたもの。もう一方は堅牢性と美観に加えて贅を凝らした装飾を施し、より高い価値を持たせたもの」とある。この手稿は全10ページにわたり、ブレゲの時計をいくつかのカテゴリーに分類し、それぞれの価格まで記載されている。だが特に興味深いのは最後のページで、“偽造品”への警鐘が記されているのだ。「ブレゲおよびその息子は、広く世間に警告を発する必要があると考える。現在パリを含む各地で、自らをブレゲの弟子と称する者がいるが、実際には一切の関係がない」とし、さらに「そうした者たちは、ブレゲの名を冠して時計を販売している」と続く。この記述は、恐らく偽造品について書かれた史上最初の記録と見られる。
ロット130は、1821年の日付が記された、アブラアン-ルイ・ブレゲの孫であるルイクレマン・ブレゲ(Louis-Clément Breguet)氏による顧客宛の書簡であり、スースクリプション ウォッチの優れた性能について詳しく述べられる。そのほかにも、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)におけるブレゲの販売代理店ルロワとの往復書簡や、アメリカ市場に関する資料も複数含まれる。たとえばロット87には1879年にセオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の祖父であるコーネリアス・ルーズベルト(Cornelius Roosevelt)がブレゲを訪れたことを記した手書きのメモが含まれ、ロット75にはロンドンのオルレアン家からブレゲ宛に送られた書簡も見られる。そこには、フランス王族のふたりがアメリカ南北戦争で北軍(ユニオン軍)として戦うために旅立つ旨が記されている。
A Breguet document outlining the Souscription watches
ロット130 ― スースクリプション ウォッチについて詳述したブレゲの書簡、予想落札価格:400〜800ユーロ(日本円で約6万7000円~13万円)
時計史全体の文脈においてとくに重要なのがロット82である。これは1844年にパリで開催されたパリ産業製品博覧会(Exposition des produits de l’industrie française)に際し、ブレゲが制作した製品カタログだ。同カタログにはブレゲによる製品や数々の技術革新について記されているが、それ以上の意味がある。実はこの博覧会こそが、アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック(Antoine Norbert de Patek)とジャン=アドリアン・フィリップ(Jean-Adrien Philippe)が初めて出会った場なのだ。ある意味でこのカタログは、ブレゲが世界最高の時計師として君臨していた時代の終焉を象徴する文書だとも言えるかもしれない。やがてこのふたりはパテック フィリップの名のもとに手を組み、時計界の頂点を塗り替えていくことになるのだから。(編注:該当のオークションは終了している)
ノモス グラスヒュッテ チューリッヒ ワールドタイマー Ref.805、エールフランスのための限定モデル、2023年製
トゥールからパリへは本来列車を使うところだが、ここは想像でエールフランス便に搭乗したつもりで話を進めよう。2023年に同社の創立90周年を記念して社員のためだけに製作された、ノモスの限定モデル3本セットがパリにて出品中だ。今回、これら3本がそろって一般市場に登場する初めての機会となる。しかもその背景には、チャリティという素晴らしい目的がある。
A Nomos for Air France
今回の3本のなかで、個人的にいちばん惹かれたのはチューリッヒ ワールドタイマーだ。通称トゥルーブルーをベースにしたこの特別仕様は都市名の代わりにIATA空港コード(大半がエールフランスの就航都市)を配しており、そして3時位置のホームタイム表示部には、通常のロゴの代わりにエールフランスのエンブレム、翼のあるタツノオトシゴがあしらわれている。近年、こうした企業限定モデルやクラブ向けの限定モデルは数多く登場しているが、本作はそうした枠を超え、単体としても魅力的な1本に仕上がっている点が素晴らしい。もちろん、エールフランス仕様のチューリッヒ ワールドタイマーが将来ミリオンダラー級の時計になる、なんて言うつもりはない。ただ、自分がノモスでいちばん好きなモデルのクールな限定版であることは間違いない。ただし、空港コードを覚えなければならない点にはご注意を。これが本当に苦手なのだ(ORDだけは覚えてるが)。
A Nomos for Air France
今回のオークションに出品されている3本にはいずれもシリアルナンバーAF001、つまり各モデルの第1号機であることを示す数字が刻まれている。これらは製造当初にノモスが保管し、今回、同社が寄贈したものだ。売上はすべて、国境なき航空団(Aviation Sans Frontières)という航空手段を用いて世界中で人道支援活動を行っているフランスの非営利組織に寄付される。
このノモス チューリッヒ ワールドタイマーは、6月18日(水)午後2時(アメリカ東部時間)にオークションハウス、アールキュリアル(Artcurial)によって開催されるチャリティオークション、Vente au profit de l’association Aviation Sans Frontièresのロット9として出品される。予想落札価格は500〜501ユーロ(日本円で約8万4000円)。詳細はぜひこちらから確認して欲しい。
ハミルトン カーキ フィールド オービス別注モデル、1980年代製
アウトドア派で、味のある経年変化に目がない人にぴったりの1本がこちら。ヴィンテージのハミルトン カーキ フィールドに、あのオービスのロゴが添えられたダブルネーム仕様だ。フライロッドやオイルドコットン製品で知られるオービスは、いわゆるゴープコアが流行するずっと以前から、本格的なアドベンチャーウェアの世界を牽引してきた存在である。
A Hamilton for Orvis
1970年代から1990年代初頭にかけて、バーモント州のアウトドアブランドであったオービスはハミルトンと提携し、タフで実用的なフィールドウォッチをカタログ通販で展開していた。今回の1本も当時のカタログで紹介されていたモデルのひとつだ。ホイヤー製のソルナグラフ Ref.2446SFなどと並んで販売されていたことからも、オービスが本気で時計販売に取り組んでいたことがうかがえる。
ハミルトン カーキ フィールドは、いわゆる“ジェネラル・イシュー”や“GI”と呼ばれる米軍支給品スタイルのクラシックなフィールドウォッチだ。この種の時計は何十年にもわたって、アメリカ軍の兵士向けに、国との契約のもとで複数の米国メーカーが製造してきた。やがて、このデザインはベトナム戦争後を境にひとつのトレンドとして一般市場にも広まり、民間向けにも展開されるようになる。なかでもハミルトンは、軍用モデルの特徴をほとんどそのままに残しながらフィールドウォッチの商業化に見事に成功した、もっとも代表的なブランドだと言えるだろう。
A Hamilton for Orvis
34mmの“パーカライズド(編注:防さび加工)”ステンレススティール製ケースは堅牢であり、マットブラックのダイヤルに配された夜光付きの“ダート”インデックスは、いまやこのタイプの時計においてはアイコン的なデザインといえる。確かに、ETA製の手巻きムーブメントを搭載した初期バージョンも存在する。だがこのオービスとのダブルネーム仕様の個体は非常に希少であり、L.L.ビーンのものに比べてはるかに見つけるのが難しい。そして正直なところ、こうしたカジュアルに楽しめるフィールドウォッチであれば、ムーブメントがクォーツでも気にならない。それよりも重要なのは、経年変化でトリチウム夜光に現れたクリーム色の味わいだ。この個体にはその点で申し分ない。